ブログ~和スタッフからのNEWS~

コーヒーカップのお皿を作る~負けるな、私!~

2015.05.11 陶芸教室










こういう時は、コーヒーでも飲んで

気持ちを落ち着かせるのが一番です

ということで先月の作品が焼き上がり見事、完成しました!



さっそく実用化!

コーヒーを美味しく飲まれます



さて今月のお題はコーヒーカップのお皿です

コーヒーカップにお皿を付けて完成します!



いつものように、土を幾つかに分け

細くのばしていきます



目を真っ赤に腫らせながら、

皆様のお手伝いに励むTさん

憧れの介護職員になって今日で146日目

PM2.5に苦しんでいます



細長い土はかのようにぐるぐると巻いていきます



隙間なく巻き終えたら

今度は平たくつぶしていきます



それを模っていきます



そしてこんな具合に模様を作り

お皿の原型が出来ました

出来上がりは来月になります

楽しみに待っています!

中原中也を読む~幾時代かがありまして~

2015.05.10 美術・文芸レクリエーション

本日のわくわく健康体操教室は

三十歳の若さでこの世を去った夭折の天才詩人、

中原中也の「サーカス」という詩を音読しました



 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました

 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました



で始まる「サーカス」の詩は中也の代表的な作品の一つです



おおよそここで描かれているサーカスとは

今日でいうボリショイサーカスのような

エンターテーメント性を押し出した華やかなショーを示唆しているのではなく

うらびれたどさ回り的なサーカスショーを示唆しているものと思われます

今日では見かけなくなった「見世物小屋」のような雰囲気です

私は体験したことがないのですが

利用者様の世代では子供の時分、縁日の会場には

決まってこのようなサーカスショーが開かれていたということです

どこかしら、うらびれており、悲哀を伴った艶やかな世界が

幾度となく戦争が繰り返されていた当時の時代を背景に

より一層の存在感を増していきます


 幾時代かがありまして 今夜(こよい)ここでのひと盛り

 今夜ここでのひと盛り



と「サーカス」は本題に入っていきます



利用者様の脳裏をかすめるのは遠い昔、

子供の時分、親に連れられて見に行ったサーカスの思い出…

文学作品には下手な回想法と違って

無限のイマジネーションをつかさどる魔力があって

皆さま、同時代性を有する中原中也の世界に没入されていきます


 サーカス小屋は高い梁(はり) そこに一つのブランコだ

 見えるともないブランコだ

 頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと

 ゆやーん ゆよーん ゆやゆよん





しかし大人になるにつれ世の中の仕組みが見えていき

子供の時分に味わった感動は誰もがそうであるように

陳腐に見え、色あせていきます

あの時味わった感動は二度と戻ってきません

世の中が見えてくるとは、そんなことなのです


中也に言わせると

あれだけ華やかに映っていたサーカスの花型ともいえるブランコでさえも


 それの近くの白い灯が 安いリボンと息を吐き

 観客様はみな鰯(いわし) 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と

 ゆあーん ゆよーん ゆわゆよん



となってしまいます




そして「サーカス」の詩はかのように閉じられます


 屋外は真ッ闇(まっくら) 闇(くら)の闇(くら) 

 夜は
劫々こふこふと更けまする

 落下傘奴らくかがさめのノスタルヂアと

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん




なにかというと中原中也はこの詩を朗読するのが好きだったようです

皆さまにおきましても、大きな声で

中原中也の詩を音読されていました

承天寺を歩く~うどん・そば発祥の地~

2015.05.10 歩こう会

本日は承天寺という臨済宗東福寺派の寺院へ行ってきました

承天寺は福岡市の中心部である博多駅界隈にあり

たくさんのビルディングが立ち並ぶ中、

その一画にひっそりとたたずんでいます




まずはそのギャップに驚かされます

京都の街中の寺院がそうであるように

都会の喧騒から一歩、足を踏み外しただけで

とんでもない異空間に突き落とされたような気分になります




創建は1242年(仁治3年)、

中国の宋で修業を積んだ円爾(聖一国師)というお坊さんが

開山したと云われています

後に京都の崇福寺も創建していますが

このお坊さんの功績として

中国で修業を積んで帰国した際

うどんとそばの製法をこの地に持ち帰った人としても有名です

境内には饂飩(うどん)蕎麦(そば)発祥之地の碑が立てられています




なるほど、博多の食文化の筆頭として、

多府県の人の多くがラーメンをイメージしているかもしれませんが

地元に住む私たちからすれば

ラーメンに負けず劣らず、うどんに関しても

かなりのこだわりをもっているのも事実です

なんといっても私は「牧のうどん」が一番美味しいと思っているのですが

「ウエスト」のうどんが美味しいという人も多く、

中には「黒田屋」のうどんが美味しいとかなんとか…

そのような「うどん論争」に花を咲かせるのも

私たち福岡に住む人間の心意気なのです!




さて、話は承天寺に戻ります

なんといっても承天寺の一番の見どころは

方丈にある枯山水の庭園「洗濤庭(せんとうてい)」です

白砂の流れは玄界灘

その上に配置された石は能古島、志賀島、壱岐、対馬をイメージし

それらの島々をたどっていくと

当時の文化の先進国であった中国へと続いていく…

つまり、ここ承天寺が、中国との懸け橋であったことを表現しています




なるほどね~

そんな意味がこめられているのかと皆さま、

食い入るように石庭を眺めておられました




石庭といえば世界遺産に登録された京都の龍安寺の石庭が有名ですが

博多っ子の意地にかけて「負けてましぇんばい!」と皆さま、

博多っ子は負けず嫌いで有名なのです!




次に向かったのが仏殿です

悲しいことに、ここ承天寺はいつぞやの区画整理のあおりを受けて

境内のど真ん中に市道が走り

見事なぐらい寺の敷地が分断されています

なので方丈から仏殿に向かうには一度、

山門を出て、市道を渡り、再び仏殿のある境内に入らなくてはなりません

普通に車が行きかっており、

なんだか変な感じがします




けっこう歩きます

皆さま、それでも、かなり元気です



ようやく、たどり着いた仏殿を背景に記念撮影!



笑顔も忘れちゃいませんね!



とりあえず、そこいらへんに適当に腰をおろし

おやつのどら焼きを食べました



礼拝もしました



何を拝まれたのでしょうか?

そう尋ねると、

すてきな笑顔を返してくださりました



五月の風が気持ちよく

のんびりとした午後の昼下がり…



ちなみに今夜の夕食は、

牧のうどんのごぼう天うどん、麺は硬麺で決まりです!

不思議ちゃん、カーリングに燃える

2015.05.09 NONE

本日のレクリエーションはカーリングをおこないました

カーリングといえば、氷上でおこなうウインタースポーツを指して言いますが

デイサービス和では、それを和風にアレンジして

床上でもできる形でゲームをおこなっていきます



床上をすべらせるものは、車輪をつけたこんなものです

和ができた7年前から、

カーリングをおこなう時のみ

倉庫の奥底から引っ張り出されてきます

もちろん手作りです



点数は距離が延びるにしたがって増していきますが

一定の距離を超えると0点になります

だから力の加減を計算しながら転がしていかなくてはなりません

いけ~!



とまれ~



そこだ~!!!



あ~あ、いきすぎちゃった~



皆さま、一喜一憂!

なかなか難しいものです



合い間あいまに体操も交えていきます

これは「コマネチ」をやっているのではありません

相撲健康体操とやらをおこなっているようです



利用者様も笑顔で体を動かされます



今日の担当はデイサービス和のワンダラーこと不思議ちゃんでした



元気いっぱい不思議ちゃん!

明日天気にな~れ!

子豚の楊枝立て~戻りたい、戻れない…~

2015.05.08 装飾粘土教室



五月のデコ粘土サークルは

子豚の楊枝立てを作ります



可愛い子豚ちゃんでしょ!



思わず、チュッとしたくなります



職員なごみぶ~さんも同族意識が働いてか

子豚ちゃんと戯れ遊びます



今は凶暴な豚に成り下がってしまいましたが

僕にも小さい頃は、こんな可愛い時期があったんですよと、なごみぶ~さん、

戻りたい戻れない…

幼き日のノスタルジーに浸っていました



さて、前置きが長くなってしまいましたが

いよいよ子豚ちゃんを作っていきます

ピンクの子豚を作るには

白と赤の粘土を混ぜるところから始めます



こねこねこね



先生が優しく指導してくださります



そんなさ中、ふと脳裏をかすめたのは

「三匹の子豚」という寓話でした

色々なバリエーションがありますが

原作は三匹の子豚がそれぞれ、

わら、木の枝、レンガで家を作ります

そこへオオカミが登場します

わらの家、木の枝の家はことごとくオオカミに吹き飛ばされ

二匹の子豚はオオカミに食べられてしまいます

ところがレンガで作った家は吹き飛ばすことができません

そこでオオカミは煙突の上から侵入しようとするのですが

煙突から降りたら、そこは鍋の中

ぐつぐつ煮られ、子豚に食べられてしまいました

ざっとこのようなお話になっています



さらに、この手の話には決まって教訓というものがついてきます

楽をしようとして簡単な家を建てた二匹の子豚は食べられた

一方、遊ぶ間もなくコツコツ堅実に家を建てた子豚は食べられなかった

ようするに、人生は堅実に生きましょう!ということを示唆しているのでしょうが…



なんだか耳が痛くなってきそうなお話です

はたしてこんなんで大丈夫なんでしょうか?



単なるデコ粘土の子豚ちゃんから

限りなく自己嫌悪に陥っていくのでした

戻りたい、だけどもう戻れない…

あの日、輝いていた自分に…   

                        文責:どん たくろう



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