バスバブを作る
2015.08.14 工作レクリエーション
本日は今月のお風呂の日にそなえ
バスバブを作成しました
今月のお風呂の日は泡風呂を提供させていただきます
作製は意外と簡単で、
重層、クエン酸、かたくり粉を材料とし、
それぞれを2対1対1の割合で混ぜ合わせます
粘着性は水を少々加えることで生まれます
水が少なすぎるとパサパサするし
水を多く入れると、ねばねばします
絶妙の配合を必要とします
なお、バスバブに色を付けるため
食紅を少々加えます
淡いピンク色のバスバブを作る予定です
ある程度、こねたら次は、かたどりをおこないます
クッキー用のかたどりを使うのも良し
かたどりなくして、手でおにぎりを結ぶように
丸くかたどっても良いと思います
それぞれ好みに合わせた方法でバスバブを作っていきました
最後の仕上げは、かたどったバスバブを
天日干し、形を強固にします
本日のように天気が悪いときは
ドライヤーで固めても良いと思います
素敵なバスバブが出来ました
今月26日のお風呂の日が楽しみですね!
憧れの介護職員になって238日目~先輩になりました~
2015.08.12 職員紹介
介護職員になって7ヶ月目にして
ようやく私にも後輩ができました
なんだか、おもはゆく
恥ずかしさのあまり
気持ちと行動が裏腹になり
後輩に対する指導がついつい、厳しくなっていきます
なめられないためにも、
私は手を抜きません
ごめんなさい、Yさん
私って、こんなにふしだらな女じゃなかったはずなのに…
もっと優しく接したらどうなのよ!
と、介護職員筆頭M先輩から指導が入りました
何かというと七転八倒、ホール内を駆けずり回り
ドリフのドタバタ劇を地でいっているような
愚かなM先輩に、そんなことを言われる筋合いはありません
たまたま和での介護歴が長いというだけで
先輩風を吹かされても良い迷惑
なにが介護職員筆頭だ!
いつかあなたの首をちょん斬って
その座を奪い取ったるわい!
そんな私を周囲は
出世にとち狂った浅ましい女と揶揄するかもしれませんが
女一匹、この世に生まれてきたからには
頂点を極めたいと思うのが自然の摂理!
勤務表に名を連ねる介護職員の一番上位に
いつの日か、私の名が燦然と輝くように
私はあえて鬼畜生となることを決意しました
チェストォォォ!
私の雄たけびは、荒々しく
デイサービス和のホールを駆け巡っていきました
君の行く道は 果てしなく遠い
なのに何故、歯を食いしばり
君は行くのか、そんなにしてまで~♪
文責:チョチョリーナMAHO
九千部山逍遥~夏が来れば思い出す♪~
2015.08.11 歩こう会
夏がくれば思い出す、はるかな尾瀬~♪
という歌があるように
私もまた、夏が来るたびに
若かりし頃、青春を山にかけた日々を思い出します
アルバイトでお金を貯めれば、
大学の授業などそっちのけで
テントとシュラフをザックに詰め込み、
安い夜行列車に乗り込んで
日本アルプスはもちろんのこと
北は北海道の山から南は九州の山と
日本全国の山々を飛び回っていました
深田久弥の「日本百名山」がまだブームになっていなかった頃でしたが
全山制覇するのを目標に
結局のところ二十代までに50座の百名山は制覇したものの
それ以降は仕事に追われる日々の中、情熱も薄れ
それから二十年近く、山とは全く無縁な生活を送るようになっていました
しかし夏になり、青い空に沸き立つ積乱雲を見るたびに
あの頃のことが思い出されます
おそらく今回、デイサービスの歩こう会行事を通じ
那珂川町の最高峰である九千部山へ行こうと思ったのも
そんな理由からであったと思います
偶然にもデイサービス和の利用者様の中にも
私と同じ思いの方が何名かおられました
特に最近、知り合ったI様は、
冬山、ロッククライミング、沢登となんでもござれの
ベテランクライマーだったとか…
お話を重ねる毎に、私の思いはより一層強くなり、
本日、I様を始め、山の大好きな利用者様数名とパーティーを組み
標高848メートルの九千部山へ向かいました
もちろん平均年齢80歳を超えるメンバーに
山登りなど無謀な話です
その点、九千部山は山頂近くまで車で詰めることが可能となっています
望むものは山を登ることではなく
山から望む世界の広さをもう一度、
確かめたいといった一点です
その点でいえば九千部山は佐賀と福岡の国境にそびえる独立峰であり
展望は抜群です
山頂直下で車を止め、
よく整備された山道を5分ぐらい歩き
九千部山山頂へ到着しました
若かりし頃、山登りで鍛えた健脚は
今もってなお健在でした
空気は澄み、蒸せかっていた下界の暑さなどどこ吹く風か
気持ちの良い涼しげな風が吹いていました
唯一、このパーティーに参加した女性職員のTさん、
こんな高いところに来たのは初めてなの!と大はしゃぎ!
青い空と緑の木々と戯れ遊びます
近くに展望を楽しめる櫓が設置されており
そこに上って展望を楽しみました
湧き上がる雲も間近で楽しめます
皆様、何を想い、何を懐かしんでおられたのでしょうか?
夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧の中に うかびくる
やさしい影 野の小径…
皆様の笑顔は、まるで子供のようでした
お玉置きを作る~お玉杓子とオタマジャクシ~
2015.08.10 陶芸教室
8月の陶芸教室は魚の形をモチーフにした
お玉置きを作りました
お玉といったら正式名称が「お玉杓子」
蛙の幼生オタマジャクシの語源ともなっています
お玉杓子の形状がオタマジャクシに似ていることから
オタマジャクシと呼ばれるようになったそうです
それではお玉杓子の語源は
滋賀県多賀町の多賀大社で古くから伝わる
お多賀杓子という縁起物の形状からきているそうで
そこからお玉杓子という名称がうまれ
さらに江戸時代から
蛙のオタマジャクシという言葉が派生したということになります
そうやって調べていくと、日本語って奥が深いのですね
ちなみに多賀神社のお多賀杓子が生まれたのが
8世紀初頭、奈良時代のことで
時の天皇の病の平癒を祈願し、シデの木で作った杓子を
天皇に献上したところ、病が治り、
それをきっかけに、多賀神社の杓子が無病長寿の縁起物として
信仰を集めたのが始まりとされています
以上、ここまではネットで簡単に調べることができたのですが
ここで私が最も気になったのが
蛙の幼生オタマジャクシについて
お多賀杓子→お玉杓子→オタマジャクシ
このような順序で、言葉が派生していったといわれていますが
この中で一番、古いのがオタマジャクシ
人類が生まれる以前、恐竜時代から生息していたといわれているんですね
それなのにオタマジャクシと呼ばれるようになったのが江戸時代から、
それならそれまでは何と呼ばれていたんでしょうか?
どうでもよいことかもしれませんが
気になってしょうがなく、ネットを通し調べまくったのですが
明確な答えを導き出すことができませんでした
ただ俳句の季語に蛙子(かえるご)というものがあります
要はオタマジャクシのことで、
もしかしたらオタマジャクシという言葉が生まれる以前は
蛙子と呼ばれていたのかもしれません
蛙の子だから蛙子
簡単明瞭ですね
ちなみに蛙の語源はなんなんでしょう?
オタマジャクシから、まったく違った形状に変わる…
要は「変わる」が「かえる(かへる)に転化したとの説があります
また、夕暮れ時、田んぼから蛙が一斉にゲロゲロと鳴き始めると
家路に帰らなくてはならない
そんな時、蛙の鳴き声が聞きようによっては「帰ろう、帰ろう」
と言っているように聞こえなくともなく
要は「帰る」が「蛙」に転化したとの説…
話は陶芸にまったく関係ないものになってしましましたが
たまにはこんな話も良いかもです
ちなみに本日のお玉置きは
しゃもじ置きにも使えます
夏祭り二日目~これが和の底力だっ!~
2015.08.07 医療法人光竹会職員バンド「BG」
夏祭り二日目
今日も御神輿わっしょい!から幕を開けました
次いでお昼ご飯のバイキング
職員も一緒にごちそうになります
和によく踊りにきてくださる日本舞踊・勝美小町の皆さまも
可愛い浴衣姿で応援に駆け付けてくださいました
こちらは昨日に続いて縁日会場
輪投げに興じられています
綿菓子、おいしいね!
本会場では調理職員Kさんが
炭坑節の踊り指導をおこなっています
利用者様も舞台に立ち
踊り方を享受されます
次いで恒例のラムネの早飲み競争!
利用者様も負けずに参加されるところが
和の夏祭りの凄いところ!
統括部長とグランドG-1看護師長も飛び入り参加
勝ったのはなんと、御年90歳の利用者様!
若い者にはまだまだ、負けません!
次いで昨日に引き続きラーメンの早食い!
なんだか血みどろの争いに!
次は那珂川町が誇る日向ひょっとこの皆さまの登場です
今年の全国ひょっとこ大会で見事、準優勝を飾った
クオリティーの高いひょっとこ踊りを披露されます
利用者の皆さま、大感激
そして日向ひょっとこの皆さまと
ぼんちかわいやを踊りました
次に登場したのがデイサービス和が属する
光竹会グループの音楽好きな職員で構成した音楽バンド
BG11が登場します
ボーカルはデイサービス和の清純派アイドル
カトリーヌ・さやかさんが務めます
利用者様と一緒に「青い山脈」をデュエットしました
BG11の総合プロデューサーの統括部長も歌います
ギターの弾き語りもありました
この日のために何度も休日を返上して
練習に励んでくださったBG11の皆さま
素敵な演奏の数々、ありがとうございました
次いで登場したのがデイサービス和の
高齢職員で結成する四婆カルテット!
今回はソフトバンクホークスの応援歌に合わせて踊ります
いやはやミニスカートが色っぽかったですよ
そんなこんなでデイサービス和の夏祭り
最後は恒例の炭坑節の総踊りで幕を下ろしました
今年で第七回目になるデイサービス和の夏祭り
振り返れば、担当者の計画が遅々として進まず
一ヶ月を切った時点で、担当者が急きょ、担当をなげうってしまい
それからというもの、てんやわんやの大騒動!
職員全体のモチベーションも下がり
日々、喧嘩の繰り返し、
どれだけの職員が涙を流したか知れない中、
一時は夏祭りの中止も真剣に考えたこともありましたが
それでもみんな、デイサービス和が大好きだったんでしょう
ホントにホントにホントに色々なことがありましたが
最後には職員が一つとなり
夏祭りを見事、成功に導いてくれました
おそらく今までの夏祭りの中で、
最も苦しかった分、最も印象に残る夏祭りであったと思います
皆さん、おつかれさまでした
自画自賛するわけではないのですが
和の底力、凄すぎます