ブログ~和スタッフからのNEWS~

モナリザを描く~世の中を支配する黄金比~

2015.05.19 美術・文芸レクリエーション



本日はレオナルドダビンチ作「モナリザ」を

原画と照らし合わせながら塗り絵で描いてみました

それぞれ個性のある描き方をされ

お一人おひとりの特徴がモナリザを通じ

良く表現されているように思えます



笑いもなければ、ホントに地味なスケッチの会なのですが

たまには、こうやって黙々とデッサンに打ち込んでみるのも良いものです



さて、モナリザと言ったら究極の美の代名詞として

人口に膾炙されている世界的に有名な絵画です

美術に興味がない人でもおそらく、

モナリザを知らない人はいないでしょう

人間の心を魅了してやまないモナリザ…

いったい何故にモナリザは

こうまで美しいのでしょうか?



それが絵画であれ、音楽であれ、造形物であれ、自然の風景であれ、

美しいと思う観点は人それぞれに違うと言ってしまえばそれまでですが、

私たち人間がある対象物を美しいと思う構造には

一つの法則が隠されているのだといわれています

それがつまり「黄金比」といったもので

比率に直すと1対1.618…(およそ5対8)の割合になるのですが

この比率こそが究極の美の比率と言われています

エジプトのピラミッド然り、ギリシャのパルテノン神殿然り

ミロのビーナス然り、

ありとあらゆる美の構成がこの黄金比に支配されているとのことです

身近のものでいえば名刺を始めカード類の縦横比も黄金比で作られています



それでは黄金比率が示す1対1.618…といった比率は何なのかといった問題が出てくるのですが

それは人間が作った創作物に限定される話ではなく

自然界のいたるところにこの黄金比が存在しているといっても過言ではなく

例えばミツバチの群れにおけるオスとメスの個体数の比率は

世界中、どのミツバチの巣を探しても黄金比になります

人間の遺伝子を形作るDNA分子を測定した結果

そのらせん構造の一単位の長さと幅の比率が約1.62であると判明しています

人間の身体だって、身長とへそから下の比率、

肩から指先までの長さと、肘から指先までの長さの比率

腰から床までの長さと、膝から床までの長さの比率、

それだけではなくて手の指、足の指にいたるまで黄金比で構成されています



フィボナッチの法則というものがあります

1と1を足すと2になります

2を一つ前の数字である1で足すと3になります

3を一つ前の数字の2で足すと5になります

5を一つ前の数字の3で足すと8になります

そうやって一つ前の数字を足していくと

前の数字との比率が限りなく1対1.618…に近づいていきます



この数列には重大な意味が隠されており

例えば樹木の葉のつき方や枝分かれの仕方がこの数列に沿って数を増やしているのです


下図のように1対1.618で構成された長方形を黄金長方形と呼びますが

短辺である1で作った正方形を切り取ると

残った長方形は変わらず黄金長方形になります

そしてまた短い辺の1で正方形を作り切り取ると再び黄金長方形が生まれます

それは永遠と続いていきます

そして次々と作られた正方形の対極を結び合わせていくと

下図のような螺旋が生まれてきます




この螺旋を対数螺旋と呼びますが

この対数螺旋の構造は巻き貝の中でも最も美しいといわれている

オーム貝の形状そのものとなります

ひまわりの種の付き方も対数螺旋の法則にのっとっています

この微妙な対数で螺旋を構成しない限り

ひまわりの種はあんなに美しく種を密集させることができないそうです

それは台風の渦の巻き方も対数螺旋にのっとっています

はるか宇宙の銀河の渦巻きも対数螺旋の法則に乗っかっています

何から何まで黄金比率に支配されているような勢いです

どこかに神様の意志でも働いているのかもしれません


結論です

モナリザはなぜ美しいのか?

作者であるレオナルドダビンチは

この黄金比を誰よりもこだわった人でした

作画の中には限りなく黄金比率が散らばされ、

かのように構成されています



おわかりでしょうか?

わかったような、わかっていないような…

もしモナリザより、この子達の方が断然美しいと思われるなら

それはそれであなたの自由でしょうが…








中原中也を読む~幾時代かがありまして~

2015.05.10 美術・文芸レクリエーション

本日のわくわく健康体操教室は

三十歳の若さでこの世を去った夭折の天才詩人、

中原中也の「サーカス」という詩を音読しました



 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました

 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました



で始まる「サーカス」の詩は中也の代表的な作品の一つです



おおよそここで描かれているサーカスとは

今日でいうボリショイサーカスのような

エンターテーメント性を押し出した華やかなショーを示唆しているのではなく

うらびれたどさ回り的なサーカスショーを示唆しているものと思われます

今日では見かけなくなった「見世物小屋」のような雰囲気です

私は体験したことがないのですが

利用者様の世代では子供の時分、縁日の会場には

決まってこのようなサーカスショーが開かれていたということです

どこかしら、うらびれており、悲哀を伴った艶やかな世界が

幾度となく戦争が繰り返されていた当時の時代を背景に

より一層の存在感を増していきます


 幾時代かがありまして 今夜(こよい)ここでのひと盛り

 今夜ここでのひと盛り



と「サーカス」は本題に入っていきます



利用者様の脳裏をかすめるのは遠い昔、

子供の時分、親に連れられて見に行ったサーカスの思い出…

文学作品には下手な回想法と違って

無限のイマジネーションをつかさどる魔力があって

皆さま、同時代性を有する中原中也の世界に没入されていきます


 サーカス小屋は高い梁(はり) そこに一つのブランコだ

 見えるともないブランコだ

 頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと

 ゆやーん ゆよーん ゆやゆよん





しかし大人になるにつれ世の中の仕組みが見えていき

子供の時分に味わった感動は誰もがそうであるように

陳腐に見え、色あせていきます

あの時味わった感動は二度と戻ってきません

世の中が見えてくるとは、そんなことなのです


中也に言わせると

あれだけ華やかに映っていたサーカスの花型ともいえるブランコでさえも


 それの近くの白い灯が 安いリボンと息を吐き

 観客様はみな鰯(いわし) 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と

 ゆあーん ゆよーん ゆわゆよん



となってしまいます




そして「サーカス」の詩はかのように閉じられます


 屋外は真ッ闇(まっくら) 闇(くら)の闇(くら) 

 夜は
劫々こふこふと更けまする

 落下傘奴らくかがさめのノスタルヂアと

 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん




なにかというと中原中也はこの詩を朗読するのが好きだったようです

皆さまにおきましても、大きな声で

中原中也の詩を音読されていました

石川啄木を詠む~東海の小島の磯の白砂に~

2015.04.20 美術・文芸レクリエーション

本日の帰りの会は

漂泊の詩人、石川啄木の歌を音読しました



私が石川啄木を知ったのが中学生の頃、

井上靖の自叙伝的な小説「しろばんば」から始まる

青年時代を描いた「北の海」や「夏草冬濤」を読んでからでした

大正期の旧制中学校が舞台となっており、

おりにふれて啄木の歌が、

登場する学生たちの口から発せられています

それはあたかも現代の若者が、

思いのたけを発散する際、

流行歌を歌っているかのようでした

当時は流行歌も何もない時代だったのか、

そのような中にあって、石川啄木という歌人は

今日でいうシンガーソングライターのような役割を

担っていたのではないのでしょうか?



東海の小島の磯の白砂に

われ泣きぬれて

蟹(かに)とたはむる



啄木の代表的な作品です

東海とは東海地方を意味するものではありません

どこまでも広がる海洋のはるか東に浮かぶ小島といったニュアンスで

日本列島を示唆しているかもしれませんが

その広大な自然の中にあって

磯の白砂で蟹と戯れ泣いているちっぽけな自分がいる…

どこか嗜虐的で自己愛に満ち溢れたこの作品は

今日の私たちの精神にも、

相通じているものがあるのかもしれません



戯れに母を背負いて

そのあまり軽きに泣いて

三歩あゆまず



この歌は、ちょっとふざけて母を背負おうとしたが

そのあまりの軽さに母が老いたことを感じてしまい

涙があふれでてきて、歩を進めることができなかった…



職員Sさん、ちょっとだけ目頭が熱くなっていました

母親への想いは啄木がいきた時代から100年たっても

色あせることなく永遠の真理として

受け継がれているのでしょう



大いなる彼の身体が

憎かりき その前にゆきて

ものを言ふ時



この歌は、デイサービス和随一の巨漢の持ち主、

なごみぶ~さんがひっさげて登場!

なごみぶ~さんに物が言えないのは

なごみぶ~さんが年上だからではなく

なごみぶ~さんの腹がでかすぎて

怖気づいてしまうからだ!

といった意味でとらえることができます!

憎いのはなごみぶ~さんではなく

ぶ~さんのお腹なのでしょう!?



時にはこんなジョークも飛ばしていきます



そんなわけで、本日の帰りの会は

石川啄木を音読しました


石川啄木、享年26歳

永遠の若者の歌は、色あせることなく

歌い継がれているのです



最後に啄木の歌を一首


こころよく我にはたらく仕事あれ

それを仕遂(しと)げて

死なむと思ふ



理想としている仕事につき

それで死んでも、悔いはなし!


それはデイサービス和で働く炎の介護職人たちの

心の叫びでもあるのです!

おらが春~小林一茶を詠む~

2015.03.21 美術・文芸レクリエーション



デイサービス和のわくわく健康体操教室では

二日間にわたって小林一茶の音読をおこないました



小林一茶といえば、江戸期の農家の人で

「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」

「やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする」

「やせ蛙まけるな一茶ここにあり」

といったふうに小動物をテーマにした俳句が

たくさん見られます



実に親しみやすい俳句が多く、

松尾芭蕉、与謝蕪村と並んで江戸期の俳人トップ3にあげられていますが

芭蕉、蕪村の俳句が、どこかしらお高く留まっている作風であるのに対し

小林一茶の作風は誰もが共感できる庶民性を備えており

おそらく、俳句に興味のない人でも

小林一茶の俳句なら知ってるといわれる方も

たくさんいるんじゃないでしょうか?



「やれ打つな蠅(はえ)が手をすり足をする」

この俳句の意味は

蠅をたたき殺すのは良くないことですよ

ほらごらんなさい、蠅が手をすり足をすって

命乞いをしているじゃないですか

ってな感じなんでしょうが

その観察力と想像力は凄すぎます!



それを皆で声を合わせ音読します



「名月をとってくれろと泣く子かな」

わがままな子供ですね~

こんな子供は将来、ろくな大人になりませんよ!

と、私見を交えて説明するのが今回の講師役、職員Hさん!



さらにどこで調べてきたのか

小林一茶のプライバシーまで暴きまくります!

小林一茶、初婚が52歳、相手はなんと28歳!

男性陣にしてみると、うらやましい限りの年の差婚!

さらに、その妻が10年後に亡くなってしまうんですが

すぐに後妻を迎えます

しかし今度は三か月後に逃げられてしまうんですが

やせ蛙負けるな一茶ここにありってな感じで

すぐに三番目の奥さんを迎えます

しかも今度も相手は32歳!

ちなみに小林一茶は63歳!

凄すぎます

「茶」つながりでいえば、加藤茶の年の差婚も話題になりましたが

小林一茶はその上をいっていますとHさん、

得意げに語っておられました



ともあれ、小林一茶

文学者であるのはもちろん

人としても

ただ者ではなかったようです

すごく魅力的な人だったようですが

デイサービスのブログではこれ以上のことは書けません

あしからず



音読~正岡子規を詠む~

2015.02.22 美術・文芸レクリエーション

本日のわくわく健康体操教室は

明治期の俳人、正岡子規の俳句を音読しました



正岡子規は34歳という短い生涯の中で

俳句・短歌の改革運動を成し遂げ

近現代文学における短詩型文学の方向を位置づけた改革者として

高く評価されています



一方、野球が日本に輸入された当初、

熱心な野球愛好家であったことで知られ、

「バッター」「ランナー」「フォアボール」等の外来語を

「打者」「走者」「四球」等に訳した人であり、、

平成14年、野球の普及に貢献した功績が称えられ

野球殿堂入りを果たしています

ちなみに子規の幼名が升(のぼる)というところから

自分の雅号を「野球(の・ぼーる)」と呼んでいたようで

それから4年後、ベースボールが野球と訳されるようになるに至り

子規の雅号「野球」が、

訳されるに至った、なんらかのきっかけを作ったのではなかろうかと

推測されています



正岡子規の生涯を描いた小説に

司馬遼太郎の「坂の上の雲」というものがあります

その中で、東京に在住していた正岡子規のもとに同郷である後輩が、

就職の相談をする為に訪ねてくるくだりがあります

後輩は新聞社で働くことを希望しいるのですが

それぞれ新聞社によって給料が違います

希望するのは「朝日」と「日本」という新聞社、

しかし給料は「朝日」の方が二倍もよいのです

「どっちにしようかしらん」

後輩が尋ねます

すると子規は

「考えるまでもないがの、日本におし」

と即答します

その理由というのが

「人間のえらさに尺度がいくつもあるが、

最小の報酬でもっとも多くはたらく人ほど、えらいひとぞな。

一の報酬で十の働きをするひとは、百の報酬で百の働きをする人よりえらいのぞな」

と説明します



正岡子規という人物を知るに有名なエピソードなのですが

お金には代え難い

絶対的な価値観を正岡子規は持っていたのだと思われます



さて、本日はそういった正岡子規が残した数々の俳句を

皆で、音読しました



「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

これは、けっこう有名な俳句ですね



「島々に 灯をともしけり 春の海」

春の海に夕闇がおぼろにせまり、

沖に浮かぶ島々が黒く影をおとしていく

やがて島々が夕闇の中に溶けようとするや、

島々でともされる灯がじわりじわりと見え始め、

静かに波にゆられ、

その光景が美しく思われてきます…

ってな感じでしょうか?

子規の故郷の愛媛県松山は瀬戸内海に面しています

瀬戸は日暮れて、夕波小波~♪

瀬戸内海の夕景を想像すると

なんだか旅に出たくなりますね



かのように、

次から次へと子規の俳句を音読していくわけですが

皆様、少なからず職員より

正岡子規を知っておられるようで

熱心に音読されていました

たまには、こんな体操も良いものです



勉強したあとはドライバーYさんと、ニッコリ!



午後からは、久しぶりに五ヶ山豆腐店へ行きました



思いっきり声を出して音読したのだから

お腹も減ってきますよね!

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