春日神社初詣~先祖の話~
2016.01.11 歩こう会
1月9日、11日の二日間、春日神社へ初詣へ出かけました
春日神社は藤原氏の祖神・天児屋根命を祭っています
藤原氏といえば大化の改新で有名な中臣(藤原)鎌足を祖とし、
平氏・源氏・橘氏とともに「源平藤橘」と総称され、その筆頭名門氏族として
日本史の流れの中で皇室に次いで最も大きな広がりを持ち続けている一族です
そういった意味で言えば、もしかして私たちも何らかの形で
藤原氏の血を引いているかもしれません
そんなはずはないとおっしゃる方もいるかもしれませんが
このような仮説はご存知でしょうか?
私には当然、父と母という二人の親がいます
そして父と母にも当然、二人の親がいます
この時点で計4名の血が私に交じっています
そして三代前にさかのぼれば計8名
四代前になれば計16名
そうやって計算していくと先祖の数は
2・4・8・16・32・64・128・256と膨れ上がっていき
二十代前は1048576名、二十四代前になると一千万人超え、
それから一代ごとに2を掛けていく計算なので
三十代前に行きつくまでに現在の日本の人口一億数千人をはるかに超えてしまい
それだけの人間の血が現在の私の中に流れていることになるのです
一代を(子供を産むまでを)30年として計算するなら
30年×30(代)=900(年)、
900年前といえば平安末期、
当時の日本の人口は700万人前後といわれているので
その数をはるかに凌駕している億単位の数は
当時、権勢をほしいままにしていた藤原一族を始め
平安時代の人たちの血流のすべてが
今の私の体の中に息づいているといっても
理論上、何の不思議もないはずです
その考え方は逆のパターンでも言えます
一人の藤原氏が平安時代に二人の子供を産み
二人の子供がそれぞれ二人の子供を産み
今日に至るまで常に二人ずつ子供を産んでいったとするなら
今日の子孫の数は何億人、いやそれ以上になります
もちろん子供ができなく家系が途絶えたり
混血が絶え間なく行われていたとしても
少なからず臆の単位に揺るぎはないように思えます
不思議な話と言ってしまえばそれまでですが
仮にこの話が真実に近かったとしても
「だから、なに?」
と、そこに何の価値も見出せなければ
この話は単なる雑学にすぎません
そもそも、そう考える方が健全な思考といえるでしょう
それはそうとして、
時の流れというものは私達が想像している以上に
案外、身近なところに転がっているものかもしれませんね
今ある奇跡に感謝…
お雛さまの花飾り~もうすぐ春ですね~
2016.01.11 陶芸教室
今日は、今年初の陶芸教室の日です。
今回は、3月のお雛様とお内裏様に見立てた可愛い花瓶です。
3月だけではなく1年中使えそうな画期的なアイテムです。
粘土を8コに分け、その8等分にしたものをひも状にし、型に沿って平たくしていきます。
ヘラで余分な部分は、カットしていきます。皆様ヘラ使いはお手の物のようです。
なめらかに、上手に切られていました。
色んな模様の印花があり、皆様どれを押そうか迷われています。
「これにしよう~。」「花も可愛いね~。」「この模様は男性用かな?」
さあ、だいぶ出来上がりましたね。
後は、くるんと巻けば出来上がりですね。
最後のしめは、先生に手伝ってもらいながら完成です。
それぞれ違う可愛いおしゃれな花さしの出来上がりです!
「素敵なのができたでしょう!」皆様 ご満悦の表情です。
もうすぐ春ですね!
恋をしてみませんか?
裂田神社初詣~阿蘇山噴火と裂田の溝~
2016.01.07 歩こう会
この写真は南北25km、東西18kmに及ぶ世界最大級のカルデラ噴火口を持つ
阿蘇山の北半分を撮影したものです
ぽっかりと大きな穴が開いているのがお判りでしょうか?
今日では、その中に多くの人が住み、電車が走り、田畑が耕されているのですが
大噴火がおこった30万年前から9万年前にかけての阿蘇山は
例えるなら富士山の山塊全部が吹き飛ぶぐらいの
巨大な噴火に見舞われていたということです
その時の噴火による火山灰は北海道まで至り
火砕流は、九州の半分を覆ったと推測され
その痕跡は九州各地に数多く残る火砕流台地によって証明されており
阿蘇山から直線距離で100kmある福岡県北部に位置するデイサービス和のある那珂川町にも
安徳台と呼ばれる火砕流台地が残っています
今日では安徳台を中心にのどかな田園風景が広がっているのですが
この土地に水路をひき開墾するにあたって
火砕流によって出来た安徳台の溶岩が邪魔をしたようで
日本最古の歴史書である「日本書紀」に、
その時の模様が記述されています
時は神功皇后の御代、
この地に田園開拓のための水路をひいている時、
水路の行く手に大きな岩盤が立ちふさがり、工事が中断、
そこで神功皇后が武内宿禰(たけのうちのすくね)に命じ
神に御祈りをさせたところ
急に雷が鳴り響き、岩盤が砕かれ水路が開通
それにより、この地の田園が開拓され
その水路を裂田の溝(さくたのうなで)と
呼ぶようになったと記述されています
実際のところ砕かれた岩盤は現存しており
裂田の溝は日本最古の用水路として今日もなお
悠久の時を刻み続けているのです
ところで、この水路を作ったのが神功皇后であったかどうか、
そもそも神功皇后の実在さえ怪しまれているのが定説であり、
実際のところは、この地で発掘された弥生期の遺跡から
製鉄技術を兼ね備えた人たちが住んでいたのがわかっており
おそらく、その技術をもった人たちの手で
岩盤が砕かれたのだろうと推察されるのですが
裂田の溝が安徳台に交わる一画に
神功皇后を祀った小さな神社があります
裂田(さくた)神社と呼ばれているのですが
日本書紀に記述されているわりには
社格もなく、小さな小さな神社です
その上、太古の昔から那珂川町の生活を支え続けてきた水路を称える意味でも
もっと手厚く祀ってもよさそうな気もするのですが
なにか複雑な事情が介在していたのでしょう
しかし小さな神社には小さな神社なりの風情ってものがあり
デイサービスセンター和では
初詣行事の一つに、この裂田神社の参拝を選びました
阿蘇山の大噴火に始まり、田園を開墾するために難航した灌漑事業…
それ以来、この町の生活の営みは何一つ変わっておらず
私達は今でもこの町で作られたお米を
美味しく食べることが出来ています
歴史の息吹を、静かに感じ取ることができるスポットかもしれません
今月号の月刊デイに掲載されています
2016.01.07 お知らせ
通所系施設の専門雑誌「月間デイ」の今月号に
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日本第一の住吉~住吉神社へ初詣
2016.01.06 歩こう会
デイサービス和の初詣ツアー第二弾は福岡市博多区にある住吉神社へ参拝しました
全国に二千社以上分布している住吉神社の中でも
大阪の住吉大社、下関の住吉神社とともに
日本三大住吉に数えられている由々しき神社です
祭神は底筒男命(そこつつおみのみこと)、中筒男命(なかつつおみのみこと)
表筒男命(うわつつおみのみこと)の住吉三神、
国生み神話で有名なイザナギが、妻であるイザナミが亡くなり
黄泉の国(死の世界)へイザナミを追いかけていくものの結局、妻を取り返せず、
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原という土地で
黄泉の国の穢れを洗い清めようと禊(みそぎ)をおこない
その時に、生まれた神様が住吉三神と言われています
住吉三神は海の神様、航海の神様としての信仰が篤く
神功皇后の三韓征伐の折、神功皇后に信託を下し、
荒ぶる玄界灘を渡る神功皇后の身を守り
時には突風となり船団の後押しをし、三韓の軍を大いに苦しめた神様として有名です
実に男らしい神様であったのでしょう!
住吉神社の祭事として「相撲会大祭」というものが毎年、ひらかれているのですが
それも住吉三神の由緒に由来して今日まで伝えられているものと思われます
おそらく住吉三神とは、ここ博多湾周辺の航海権を握っていた
一族の守り神のようなものではなかったのかと推測されます
当時といえば外国との交易の門戸は、この地に集中しており、
後年、大宰府政庁が置かれたことでもわかるように
その重要性は計り知れないものであり
この地の制海権を掌握していた一族の力は
絶大だったように思われます
「日本第一の住吉」と最も古い歴史書にはこの地の住吉神社を
そのように称していますが(諸説あり)
あながち、この地の神社が住吉の発祥であったとしても
なんの不思議もないように思われるのですが…
とまれ、近年の神社の神様といえば
どこもかしこも縁結びの神様ばかり
そうでもしない限り、参拝客が望めないからなのか
現代人のニーズに合わせ、神様が変幻自在に姿を変えるのも
日本人の宗教感のいい加減なところであり、
八百万(やおろず)の神様の複雑なところでもあるのです
実際のところ住吉神社の一画に
商売繁盛の弁天様が祀ってあったりと
それはもう賑やかなこと!
変幻自在で曖昧模糊とした雰囲気が、ある意味、
日本人の宗教感の素晴らしいところかもしれませんね
なぜならば、これはこうあるべきだと形にハマって生きるのって
かなり窮屈な生き方ですからね
いいかげんな奴らと口をあわして
俺は歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわして
俺と歩くだろう~♪
吉田拓郎さんも、ご自身のデビュー曲で
そう歌っておられたのをふと、思い出しました